思春期の傷2010/08/07 16:45



 長いこと学習塾の仕事をしてきた。まさか、ここまで長くそして深く携わることになるとは思わなかったし、子育てと同時進行してきた月日を振り返ると後ろからの支えなしには続けられなかった。
 「子供が好きなんですね。」とか「教えることが好きなんですね。」なんてよく言われるけれど後者は自分でもそうなんだと思い込んでいたふしがある。
 しかし、今になって思うのはたとえそれが事実だとして小学生から中学生、特に多感な思春期の子供たちとつきあうということは本当に大きな責任を担っているということである。
そのことの大きさを知らずに金儲け主義に走っている学習塾がどれほどあることか・・。
 確かに志望校合格という目標は達成してあげたい。けれど大切なのはその道のりをさりげなく共に歩むこと。時には大切な一言を口にし、時にはただそばに寄り添う。将来、困難な状況におかれた時、子供の頃出会った大人たちの記憶が支えになるという経験は誰にでもあるのではないだろうか。

 10年以上も前の生徒の一人。見た目にも可愛い、いつも笑顔の愛らしい子がいた。箸が転がってもおかしい年頃というが、それほどよく笑う子だった。努力家で部活動も勉強も真剣に取り組んでいた。春には無事、第一志望校合格。中堅進学校入学後には成績もトップクラスと他の子から聞いた。演劇部に所属して活躍・・・「さすが!」と愚かにも私はまるで自分の手柄のように喜んだ。
 夏休み、やはり私の塾に通う妹を迎えにお母さんと来た。
「元気だったぁ?」と言ったあとに腕がすっかり細くなっていることに気付き、驚いた。言葉が見つからず、思わず「一杯食べなさいよ。」と言ってしまった。まさに失言。
拒食症になっていたことをあとから知る。入院、退学・・。

 今年の2月頃から様子がおかしくなって心配している子がいる。入学当時から非の打ち所がない状態。成績はオール5。性格も穏やか、結構きわどい冗談も言い、生徒会でも頑張る。
ところが急にまさに急に笑顔が消えた。勉強にも身が入らない。心、ここにあらずという感じでぼーっとしている。その内、欠席が増えた。元々、完璧などというものはあるはずもなく、もしも、それに近い状態が続けばどこかが壊れる。
 お母さんと電話で話す・・・生徒会の仕事がきつくて息切れ状態だと言う。本人に代わり、
「塾を休むことや少し休憩を取ることは、ちっとも恥ずかしいことじゃないよ。それに悪いことじゃない。疲れた時はお風呂に入って眠ろう。時間はいっぱいあるからね。」
電話の向こうで泣いていた。

 夏休みも始まって少しずつ笑顔が戻ってきた気がしていた昨日。彼女の左手首にたくさんの傷を見た。胸が締め付けられた。ここまで追い込まれていたんだ・・・。でも、隠さずに半袖のTシャツを着ている彼女。

 こうなる原因は何かなどと論じるつもりはない。「どうして?」と聞いたところで本人たちにもわからない。「どうして?」はタブーなのだ。誰が悪いのでもない。確かにこの二人に共通点はある。一人は拒食、一人はリストカットという形で表れた。

 今、私が出来ること。心の中で言いつづけようと思う、「大丈夫だよ。」と。

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